天下茶屋の歴史

天下茶屋をかまえたのは、昭和9年の秋のこと。

木造二階建て、八畳が三間の小さな茶屋で、峠を行き交う旅人に食事などをふるまったのが始まりです。


正面に臨むその絶景から富士見茶屋、天下一茶屋などと呼ばれていましたが、徳富蘇峰が新聞に天下茶屋と紹介したことがきっかけで、皆さまに「天下茶屋」とお呼びいただくようになりました。


天下茶屋には多くの文人が訪れましたが、中でも井伏鱒二、太宰治の滞在は特に知られています。


太宰治が天下茶屋に逗留するきっかけを作ったのは井伏鱒二。創業から太宰が逗留する前までの先代とのやりとりを作品「大空の鷲」に残しています。


太宰治は昭和13年9月に井伏鱒二に連れられてやってきました。およそ三カ月の天下茶屋の滞在を、小説「富獄百景」に残しています。

その後、昭和23年に太宰治が入水自殺したのを受け、昭和28年に井伏鱒二とともに太宰治文学碑を建立。


昭和42年、新御坂トンネル開通により、天下茶屋は約10年の休業を余儀なくされましたが、昭和53年から2代目が営業再開。おかげさまをもちまして2009年に75年周年を迎えることができました。

太宰治文学記念室

天下茶屋2階に、富士山と河口湖を一望できる6畳間に、太宰治が逗留していた部屋を復元しました。

当時使用した「机」や「火鉢」などを置き、床柱は、初代の天下茶屋のものをそのまま使用しています。

「富獄百景」「斜陽」「人間失格」などの初版本、「太宰治」「斜陽館」などのパネル、「太宰治文学碑建設趣意書」「のれん」なども展示しています。

太宰治文学記念室 詳細

所在地

〒401-0304

山梨県南都留郡富士河口湖町河口2739 天下茶屋2階

TEL/FAX 0555-76-6659
営業時間 9時~日没
営業日 4月上旬~12月上旬の営業期間内は無休です。
冬期は休業いたします。
入館料 天下茶屋をご利用のお客様は無料で記念室をご覧いただけます。

滞在中の太宰治に、ほうとうを出したところ、
「僕のことを言っているのか」と不機嫌になったとの事。


先代が「ほうとうは甲州の郷土料理である」と説明したところ、
太宰治は安堵して喜んで食し、好物になったようです。


その様子から先代は生前、

太宰治は自身が「放蕩(ほうとう)息子」と勘違いしていたようだと当時を語っておりました。